真昼の悪魔

真昼の悪魔


ドラマ化されたことで複刊されたこちらの小説。
確かにおそろしいエピソードもてんこ盛りで、ドラマにはなかなかよさそうな素材です。
が、ぜひ小説で読んでほしい。
なぜなら小説で読まないと、エピソードがきつすぎて、著者の本来伝えたい「悪」の概念が
伝わりにくくなると思うからです。

遠藤さんが熱心なキリスト教信者であることは有名で、沈黙はじめ、彼のキリスト教の思想に基づく
思索がさまざまな小説に色濃く及んでいることは言わずもがな、です。
この小説に描かれている悪の概念もおそらくはキリスト教の教えにもよっているのでしょう。

私はキリスト教信者ではありませんが、キリスト教系の学校に通っていたので
一定の宗教教育は受けてきました。宗教教育は学校教育の一環でもあったので
道徳教育的なものを兼ねていた、という側面もあったからか
善行やほどこし、哀れみ、あるいは他人のために自分を犠牲にする精神などは
いやというほど習ってきましたが、悪とは何か、を考えることはあまりなかったような気がします。

ただ、悪を学校の授業で習うまでもなく、小さな悪はこどもながらもまわりにいくらでもありました。
そして成長し、自分の世界がどんどん広がっていくにつれ、悪はただの日常にあるちょっとした悪意
レベルではなく、残忍な犯罪となっていくこともあるのだ、ということを学んでいきました。
しかしながら、子供のころに実感していた悪も、大人になってから触れた悪も
ある意味どちらも実にわかりやすく、あくどいものでした。
でも悪か善かはっきりわかるような悪よりも、この本で作者が繰り返し
書いているように、一見美しく、またもしかしたら華々しい
ものの奥にある、隠れた悪、のほうが質は悪く、また屈折しているものなのかもしれません。
あるいはそのように隠れた悪の蓄積がいつしか大きな犯罪になっていくものなのかもしれません。
また今の世の中でさほど悪ととらえられていない事象も実はとてつもない悪行なのかもわかりません。

と考えていくと逆に
ちょっと踏み間違えれば人は残忍な方に流れていくことができる。
そこを踏みとどまり、懸命に生きてるからこそ美しいともいえるのかも、とも考え至ります。

極端なエピソードを面白がって読むのも悪くないですが
悪ってそもそも何なのか?普段なかなか考えないテーマを考えるきっかけになる1冊です

今日のBGM
Robert Randolph
The March






スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する