ヤクザと憲法

なんとヤクザに画像のぼかしなし、取材による謝礼なし、で密着取材したドキュメンタリーです。
ミニシアターでしか上映されてない映画ですが
連日満席らしい。
実際私が見に行った時ももちろんミニシアター
なんで、満席と言ったって、たかはしれてる
とこもありますが、でも満席でした。

どうやら犯罪っぽいことをしてる様子が伺えたり
幹部に対する組員の任侠映画みたいな
立ち居振る舞いなどいかにもヤクザらしい(?)ドキュメントな
ところもあるし、
やくざといえど意外と普通の生活してるのね、というところもあります。
組長なんて普通に歩いてたら、組長ってわからない、ごく普通のたたずまい。
むしろ紳士的といってもいいかもしれません。

ドキュメンタリーですから、組員が逮捕されたり、担当の弁護士に有罪判決が
なされたり、山はあるけど、結論らしいものは何もです、いつの間にか終わってしまいます。
いつの間にか終わるけど見応えはあり、
普段考えもしなかったことを考える機会にもなるそんな不思議な映画です。

先ほどさらっと、弁護士と書いてしまいましたが、え?ヤクザに弁護士?
とたいていの方が思うのでは。
私もびっくりしました。でも考えてみたら、たとえ犯罪を犯していても
憲法・法律で定められた守られる権利、はあるわけです。
弁護士がついていてもおかしな話、ではありません。

ただ、たとえば犯罪行為が明確であるものに対して、犯罪ではありません
と主張することはできないでしょうし、犯罪を繰り返している場合
いくら守られるといっても罰を受ける覚悟は促してしかるべき、でしょうし
なかなか難しいであろうことは素人考えでも想像はつきます。
何がどう難しいか、なぜその難しい仕事を引き受けたのか、弁護士の口からは
はっきりは語られていなかった気が私にはしましたが、観る人によってこのあたりの
印象や解釈は違ってくるかもしれないです。

人は法の下では平等、と言いながらも犯罪に対して
罰を与えるのは当然で、犯罪を犯している人たちが生きにくくなるのも当然
でもヤクザの家族、たとえば保育園に入れないというのは差別では
ないか。そんな話も出てきます。
そこだけ切り取ればそれはその通り。
でもたとえば犯罪行為が減っていかない中、まわりも含めて圧力をかけていって
力を弱めていこうとしている、場合、そもそも犯罪行為をやめればいいわけで。

また映画の中からはヤクザの世界に入ることで孤独から逃れられた人たちが
いることも映画からはうかがい知ることができます。
だからといって犯罪犯していいというわけももちろんない。

といった堂々巡りが見ている観客の心中には繰り広げられるはず。
世間知らずの私にとっては、言われてみればそうだけど、考えもしなかった
という問題ですが、一定地域の人にとっては身近な問題なのでしょう。

おそらくこの映画を見たとき感じる感想は人によりさまざまでしょう。
それは、ごくごく身近に存在を感じている人と
存在は知ってるが実態は知らない人との距離感の違いがあまりに
大きいがゆえ、です。
知らない人は知らないということを知り、知らないなりに
権利、平等とはどういうことか、堂々めぐりの考えをたまには巡らせてみるのも
よいのではと思います。

今日のBGM
Outside Fearturing Elie Golding
Calvin harris


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