メディアのあり方

前回の記事にあげたように、17日の朝日新聞はなかなかの読み応えでした。
アニエスジャウイさんの記事だけでなく、朝日の記者たちが自分たちがあげた記事
についての思いを語る特集があってこれがなかなかの逸品。

被災地の記者は、楽天の優勝を伝える記事において
被災地が希望に湧いた、といった書き方をしたが
その日は偶然ながら町職員ら42人が行方不明になった
防災対策庁舎を取り壊すことを決めた日でもあったそうです。
楽天の大ファンで、居酒屋に毎回楽天の帽子をかぶってくるほどの
町長はそんな重い日に、優勝にはしゃぐことはできなかったという
なんとも複雑なコントラストが一方ではあった、と記者は書いています。

歓喜と悲哀をどちらも記事に書いていれば町の現実や空気管をもっと伝えられ
ていただろう、と記者は振り返ります。

一方で厚労省担当記者時代に確かに聞いていた患者紹介ビジネスについて
聞いてはいたが、次から次へと報道しなければならないテーマがふってきて
ひとつのテーマをほることができないという事実。なんかおかしいな?と
思ってもそれだけで終わってしまっていたのが異動をきっかけに
4か月そのテーマを掘り起し記事にすることができた、というエピソードも
別の記者から紹介されていました。

ということでとても読み応えのある記事だったのですが
私は常々新聞というのは中途半端なメディアだなあと思っていました
タイムリー性には欠ける、この記者たちが思うような、事実の合間に落ちている
大事な事実をうめるにはスペースが足りない。
何かを深堀りするのもよほどのインパクトがないとできない。

そもそも、日刊の紙メディアだけで考えているから中途半端なんじゃないかしら。
「報道」というくくりでTVも紙も(日刊、週刊、出版)インターネットも
本当にひとつの線で流して考えたら、そしてメディアできるのではなく
テーマや機能で担当を区切って、テーマの掘り方によりメディアを使い分ける
そんな考え方の方がいまの時代にはあっているような。
メディアで組織を分けているから、この記者が思い悩むような
事態に陥っているのでは?と記事を読んで感じた次第です。

今日のBGM
One Vision
Queen



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