血脈と私

ここ数か月本を読むペースがぐっと遅くなったのですが
この2週間ほどはハイペース。5冊を読破、現在読んでいる1冊もおそらく明日には
読み終わりそうな勢い。

ここ数か月なかなかいい本に巡り合えなかったんですけど、この2週間は
あたりの連続。
何冊か面白い本に巡り合って読破してしまうと、とたんに本を読む
スピードが増すんですね。夢中で本をむさぼるその面白さを堪能できる喜び
は格別です。

ということで今日ご紹介するのは私に本を読む勢いを取り戻してくれた
血脈と私

血脈と私

佐藤愛子さんの長編傑作、血脈を書き終えての作者の所感をつづった1冊。
いろんな雑誌からの抜粋であるためでしょうか、何か所かエピソードなど重複している
ところもありますが、それが逆に作者にとって貴重なメッセージであるのだということを
感じさせる効果にもなってます(・・・やや言い過ぎ&ファンならではの欲目かもですが)

血脈に書かれているエピソードはまごうことない実話で、佐藤愛子さんもその渦中に
巻き込まれているわけですが、のめりこみすぎて客観性を欠くこともなく、かといって
ほどよいリアル感と、登場人物の佐藤さんしか感じ得ない愛情が伝わってくるのが
「血脈」の魅力。このバランスのよさはいったいどこから?と不思議に思っていたのですが
この本を読むとそのなぞが明らかになります。

まずひとつは、
「書くことによって彼らを愛することができるようになった」
ということ。
もうひとつは、人の人生は矛盾を抱えて生きていくということなのだ、という作者の人生観。

人間はみな大きな矛盾を抱えて生きてるっていことなんですね。
もし私が若い時に「血脈」を書いていたら私はその矛盾を糾弾せずにはいられなかったでしょう。
やっぱり65くらいで人間は矛盾を抱えて生きるもんだという認識をちゃんと持つように
なった年代から書き始めたというのが一番よかったと思います。


またこれは「血脈」を佐藤さんが書き上げなくても世間的に知られていることでは
ありますが、佐藤家がいろんな騒動で右往左往している間にも、彼女自身は
蝶よ花よと大切に育てられていきます。
しかし2度にわたる結婚で、彼女もまた大変な苦労を自らしょってたっていくことになります。
その苦労は、壮絶の一言であるわけですが、それでも佐藤さんはこう言います。

トルストイは幸せの形はひとつだが、不幸の形はいろいろあるといったが
幸せの形もまたいろいろあると私は思う。
だから「人も羨む幸せ」というものはないといっていい。
かつて私は両親によって幸福を与えられていた。だがその幸福は自分で作った
ものでなく与えられたものであったから本当の幸せとはいえないものだったのだ。


佐藤さんほどのすさまじい経験はしていないけれど
この言葉には激しく共感。
ごくごく普通の当たり前の生き方しかしていないですけど
でも中学高校時代のぼやっとした生き方に比べれば
自分で自分のことを当たり前に考え決めることができているのは
本当にありがたいことだと思いますし、幸せなことだ、と思います。
もっとも、意識的にそうなったわけではなく、気づいたらそうなっていた
という部分も大きく、そこは自分でもまだまだ、と思っていたわけですが
自分の決断に責任は持つにせよ、流れにゆだねるのも悪くないのかもしれないな、
というのもこの本を読んで思った次第です。

私は孤独だったが、もはや「守ってくれる人」など求めなかった。
自分で自分を守ろうという意識さえ希薄になっていた。
自分を守ろうとするから傷つくまいとするから、損するまいと思うから
いろんな欲を持つから人生は辛いのだ。
流れに身を任せ自分の自然に沿ってあるがままに生きれば楽なのだ。


作家仲間の中山あい子さんからはあんたはエピソードの宝庫だからいいわよねと
うらやましがられたという佐藤さん。
しかしそのエピソードを自分なりの人生観をもって味付けする力がなければ「血脈」という
傑作は書ききれなかったわけで、そのことをこの本は証明している気がします。

今日のBGM
Wonderwall
Oasis
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テーマ : 読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

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