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徒然草

学生時代の得意科目は外国語と国語。
国語は古典が特に好きで。
大学受験のノウハウ本には「古典は外国語と思え」なんてありましたが
使われている単語の意味合いこそ現代と異なっていても(をかし=おかしいではなく
趣き深い、とかね)外国語ではやはりなく、行間に漂う読後感は
言葉を超えた感情を呼び起こされ、それがなんとも好きだったんですよね。

女子の間で好評だったのはあさきゆめみしの影響もあって
源氏物語でしたが、私はあまり源氏は好きじゃなく。
だってただの女たらしの物語じゃないですか。
しかもそれを女性が書いて、さもすばらしいことみたいに書いてるのって
どうなのよ。

清少納言も「私って美人なうえに教養もあるのよ。おわかり、ふふふ」
という感じでいけすかなかったのですが
私を古典好きにしたのは、ひとえに兼好法師様のおかげでございます。

下手するとただの嫌味な説教になるところ、なんともおかしみのある文章で
表現している様は当時中3の私のハートをわしづかみ。

特に私のハートをわしづかみにしたのは
味噌を肴に一杯飲んだという一文。
中学生でなぜそこか?というか中学生相手にその出典はどうなんだ?
と思いますけど、「いいなあ、このおっさん」というのが当時の
私の感想でありました。

好き、とはいえ、大学受験を終えてから古典を原文で読んでみようという
気力はおきませんでした。やっぱりしんどいもの。
今になってどうして読んでみようと思ったのか、我ながら不思議なのですが
魔がさしたのかなあ。

最後のあたりは仏法の知識がいるものだったりしたのでちょっとしんどかったのですが
前半あたりは意外にすんなり、すいすいいきました。
きれいごとで終っていなくて、真相をズバッといってる様子が実にこのましいです。

人はかたちありさまのすぐれたらんこそあらまほしかるべけれ

女にたやすからず思われんこそ。、あらまほしかるべきわざなれ


なんて、堂々と言うのはちょっと勇気がいるけど、実際のところそれはそうなんだよね、
というようなことをさらっと書いてみて、洒脱な風を出しておきながら

名利につかはれて、閑かなる暇なく一生を苦しむことそ愚かなれ。
という出家した法師ならではの無常観もちゃんと表現しています。

とにかく、多くを語らず、主張せず、争わないことをよしとする兼好先生が
今の中途半端にアメリカナイズされた日本人の状況を見たら
さぞやなげかれるであろう、としみじみ思いました。

また一方でなんだか疲れ、うつ病率も増えている今の近代日本ってやはり
日本人のDNAにあわない生き方を無理くりしているからかしら?なんてことも
思ってみたり。

近現代にいきる私からすると思っていることをはっきり言わないのは
気持ち悪かったりするけれど、あまりあからさまにいいたいことを
言い過ぎるのもなんだかぎすぎすすることがあるのも事実で
難しさも感じる今日この頃だけに、兼好先生の一文はひとつひとつ
心につきささりました。

読み取るのはやはり大変だったけど
でも一冊読破してみてやはり兼好先生は大したものだ、と思いました。
今エッセイストとか言われている人たちが語っていることは先生に比べれば
やっぱり軽いわ~。いや軽いのもいいんだけど、そればっかりじゃやっぱりね。
洒脱でかつ深く重い、そういう「随筆」の出現が待たれるよなあ、と古典を
読んで思い至った次第です。

今日のBGM
Workin for Livin
Huey Lewis and The News

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