根津美術館 百椿図
表参道の根津美術館に行ってきました
展示物もいいけど、庭園も素敵な美術館ですよね。
それこそ今日なんて雪景色できれいなんじゃないかしら。
見に行ったのはまさに冬の風物詩の椿をテーマにした百椿図展
やはり目玉は椿をテーマに色とりどりに描かれる椿の絵の数々。
構図、色使い、どれも美しく、なんだか地味な印象の椿が
こんなにも色鮮やかに描かれるとは。
そして日本画とはこんなにも、繊細でありながらも
華やかなものだったとは。
もちろん絵だけでなく、硯箱とか、器なんかもあって
緑の葉と白い椿をモチーフにした器など、
これそのままレプリカ作ってくれたらいいのに〜
という感じ。
展示数などたとえば上野の博物館やサントリーなどと比べると
やや小ぶりな印象はぬぐえないけど、でも美術館の雰囲気までも
が展示物ととらえればこれほど豪華な美術館もないかも。
大満足!な1日でした。
今日のBGM
Distance
西野カナ
この曲に限らず、私はこの人の曲ってなにひとつ
心に響いてこないんですよね。
感性の違いってやつでしょうか。

展示物もいいけど、庭園も素敵な美術館ですよね。
それこそ今日なんて雪景色できれいなんじゃないかしら。
見に行ったのはまさに冬の風物詩の椿をテーマにした百椿図展
やはり目玉は椿をテーマに色とりどりに描かれる椿の絵の数々。
構図、色使い、どれも美しく、なんだか地味な印象の椿が
こんなにも色鮮やかに描かれるとは。
そして日本画とはこんなにも、繊細でありながらも
華やかなものだったとは。
もちろん絵だけでなく、硯箱とか、器なんかもあって
緑の葉と白い椿をモチーフにした器など、
これそのままレプリカ作ってくれたらいいのに〜
という感じ。
展示数などたとえば上野の博物館やサントリーなどと比べると
やや小ぶりな印象はぬぐえないけど、でも美術館の雰囲気までも
が展示物ととらえればこれほど豪華な美術館もないかも。
大満足!な1日でした。
今日のBGM
Distance
西野カナ
この曲に限らず、私はこの人の曲ってなにひとつ
心に響いてこないんですよね。
感性の違いってやつでしょうか。
大人のアスペルガー症候群

別にアスペルガー症候群の人やそうではないか?と思われる人が周辺にいるわけでも
なく、特別必要にかられたわけでもないのですが、知っておいて損はない話かな
と思って手にとってみました。
アスペルガー症候群はコミュニケーション力が不足しているだけで
学業の理解のように物事のロジックを理解する力に課題があるわけでも
ないので、ともすると「変わった人」「勝手な人」という烙印を
押されてしまうのが難しいところ。つまり本来は脳の機能に障害が
あり、直しようがないのに、本人の努力不足ととられてしまうんですね。
別にアスペルガー症候群でなくても、人の気持ちを汲み取るのが下手な人
というのは世の中にいるのでそこと一緒くたにされてしまうのは
たまらないことだよな、と本を読んで感じた次第。
本はおそらく、アスペルガー症候群と判断された人たちを
ターゲットにしていると思われ、イラストや図で状況を理解
できるように工夫されています。
それは一般のアスペルガーに対して無知な人に簡便に状況を
理解してもらうのにも役立つかと思います。
すべてを正確に理解できたとは思えないし、実際、
アスペルガー症候群の人とこの本を読んだからといって
うまくコミュニケーションを取れるかはわかりませんけど
少なくとも状況を理解する一助にはなりそうです。
おそらくは、誤解されたり差別されたりすることを恐れ
本当はアスペルガー症候群なのに、言い出せないでいる
人たちも一定数いるのではないかと想像します。
能力は高い人たちなのですから、彼らが特性をいかして
活躍できる社会になっていけたらいいですね。
今日のBGM
Molotov
ATOM ON SPHERE
うーん、何言ってんだかよくわかんないし
メロディーもなんだかな、だし私には理解不能
しがみつかない死に方

香山リカ氏による著作。
最近友人と、老人になったら、有志で同じマンションの別部屋に住んで、
週一度ランチか夕食を共にするってのはどうか?
その夕食に連絡ナシに姿を見せなかったら、合鍵でドアを開けるって
いうルールでお互いの無事を見守ろう・・・なんて話を、不健康に
お酒を呑みつつ話したりしているのですが(ちなみに、実現性0の
プランなんですけどね。マンションを買うお金の話などこれっぽっちも
入っていないわけなんで)やはり心のどこかで、孤独死を恐れている
のは肌感覚で事実な気がします。
本にあるような、孤独死を恐れるあまりにうつ病にまでなるほど
思いつめている人はまだごく一部だとは思いますが。
この本では、孤独死を恐れないための方法論が書いてあるわけではありません。
また孤独死に至らないための、防御策が書かれているわけでもありません。
急に一人暮らしのお宅で亡くなった方の事例や
一人暮らしが年齢問わず増えている中で遺品整理という事業が存在していたり
という、「死」に対する「恐れ方」が変わっている中での人々の変化が
書き綴られており、新書というよりはほぼエッセーに近いような。
著者が精神科医であり、まがりなりに新書というカテゴリーで出していることを
鑑みるともっとロジカルに、専門的に書いてほしいと考えるむきもあるでしょうが
さほど、もしや一人で誰にも看取られずに死んでいくのかも?という問題に対して
深刻に悩んでいるわけでもないけど、ちょっと頭をかすめてる私程度の問題意識の
読者には、「へー、そういう事例もあるの」「へー、そんな事業があるんだ。いよいよ
問題に直面したらちょっと利用してみよう」ぐらいの軽い感想で読み進められる
のでちょうどよいトーンである気もします。
死を恐れるな、といって恐れられないでいられるほど人間は達観していないし
死を恐れるがあまりに、今まで気づいてきた生き方や暮らし方を変えてしまうのも
なんだかナンセンス。
死ぬことばかり考えて生きるのも嫌だけど、時にふっとどう死ぬかを考えるのも
そろそろ人生折り返し地点をいこうとしている身には必要なことだと思います。
そんな潜在意識がこの本を手にとらせたのかもしれません。
今日のBGM
maximum the hormone
マキシマム ザ ホルモン
PVの最初に
今時の、いいこといってます感あふれた
歌詞&あまっちょろーいメロディーを
思いっきり皮肉ってるのがなかなか素敵。
サウンドも今時ここまで激しくやってくれるのは
なかなか立派。かっこいいぞ!
アルプスの少女 ハイジ
年末、ケーブルTVでアルプスの少女ハイジをやっておりまして。
クララとハイジの交流部分のみをピックアップする形で
放映をしておりました。
ハイジは子ども時代、カルピス劇場で見ておりました(歳がばればれ)
が、その後は特に見る機会もなく。
ただなんだかとてつもない名作として語り継がれている
らしいことはつかんでいたのですが。
久々に見ると、これすごい作品だったんですね。
アルプスにせよ、フランクフルトのお屋敷にせよ
風景があまりに絶妙すぎ。
あと子どもの頃、感動した溶けるチーズや干草の
ベット、丸太小屋。
子どもの頃、それはそれはあこがれた世界だったけど
まあいいけど、私はここで毎日過ごすのはちょっと
ごめん、というか、たまの休日なら耐えられても
毎日のことになると耐えられないだろうなあ・・・
というもう夢もへったくれもない感想をいだきました。
一方で、ハイジを見て子どものころないた記憶など
ないのですが、フランクフルトで夢遊病になって
それでもクララをかばって山に帰っちゃいけないの
とつぶやくハイジに大人の私は号泣したのだけど
同じシーンをみた子ども時代の私は
かわいそーとは思ったものの、泣くまでは至らず
むしろ、こども特有の想像力でいつかハイジはアルプスに
帰れるはず、よし!これで帰れるんだとむしろ期待に
あふれてテレビを見ていた記憶のほうが鮮明。
同じものをみても年月がすぎると注目する観点も
感動する観点も違ってくるものなのですね。
もっともそれってある程度の品質が保たれた世界に
おいていえることだとは思うのですが。
なお、どーでもいいことですが、あれ?そうだったの?
というエピソードがひとつ。
クララが歩いたのはハイジの熱いメッセージの後だった
というのは覚えていたのだけど、クララが自分一人で
立ったのは、なんと、牛に驚いたからだった・・・という・・・
ま、キセキってやつは、案外そういう感動的でもなんでもない
ちょっとしたシーンで起こりえることなのかもね。
今日のBGM
Slammin
Huey Lewis and The News
クララとハイジの交流部分のみをピックアップする形で
放映をしておりました。
ハイジは子ども時代、カルピス劇場で見ておりました(歳がばればれ)
が、その後は特に見る機会もなく。
ただなんだかとてつもない名作として語り継がれている
らしいことはつかんでいたのですが。
久々に見ると、これすごい作品だったんですね。
アルプスにせよ、フランクフルトのお屋敷にせよ
風景があまりに絶妙すぎ。
あと子どもの頃、感動した溶けるチーズや干草の
ベット、丸太小屋。
子どもの頃、それはそれはあこがれた世界だったけど
まあいいけど、私はここで毎日過ごすのはちょっと
ごめん、というか、たまの休日なら耐えられても
毎日のことになると耐えられないだろうなあ・・・
というもう夢もへったくれもない感想をいだきました。
一方で、ハイジを見て子どものころないた記憶など
ないのですが、フランクフルトで夢遊病になって
それでもクララをかばって山に帰っちゃいけないの
とつぶやくハイジに大人の私は号泣したのだけど
同じシーンをみた子ども時代の私は
かわいそーとは思ったものの、泣くまでは至らず
むしろ、こども特有の想像力でいつかハイジはアルプスに
帰れるはず、よし!これで帰れるんだとむしろ期待に
あふれてテレビを見ていた記憶のほうが鮮明。
同じものをみても年月がすぎると注目する観点も
感動する観点も違ってくるものなのですね。
もっともそれってある程度の品質が保たれた世界に
おいていえることだとは思うのですが。
なお、どーでもいいことですが、あれ?そうだったの?
というエピソードがひとつ。
クララが歩いたのはハイジの熱いメッセージの後だった
というのは覚えていたのだけど、クララが自分一人で
立ったのは、なんと、牛に驚いたからだった・・・という・・・
ま、キセキってやつは、案外そういう感動的でもなんでもない
ちょっとしたシーンで起こりえることなのかもね。
今日のBGM
Slammin
Huey Lewis and The News





